理系の国語力?

どうも、相変わらず健康的な浪人生活をしているスーです。

今日、ある英語の先生が「"理系だから現代文ができなくていい"というのはおかしい」
というような話をして下さったのですが、全くそのとおりだなあと。
普通科の高校では書かされないんでしょうけど、現代文の能力がないとレポートって書けないんですよ。でも、理系ってレポートなり論文なりを書いてナンボの世界なんですよね。
レポートを書かなくて済むのは(普通科の)高校まで。

基本的に、何らかのプロジェクトなり研究なりをやったら、それを後世に伝えるため、あるいは広く一般に公開し共有財産とするため、あるいは追試や、第三者による評価を可能とするためにレポートを書くのは当然のことです。それが出来ないってなると、理系で食ってくのは厳しいんじゃないのかい?と思うわけです。余人を持って代えがたいレベルの天才なら別ですが。

さて、私は実際に遭遇したことはない(はず)ですが、「国語ができないから理系」というような人が居る、という話を耳にすることが多いです。

でも考えてみてください。

完全に人間とコミュニケーションを取らずに出来る仕事ってありますかね?
こういう時に例として出てきそうな理系っぽい職業としてプログラマがあるわけですが、
仕事である以上、顧客が居るわけで、その要求仕様を理解して実装する上で日本語なり英語なりが全くできないとなると話にならないわけです。顧客と直接話して要求仕様をまとめるのは確かにSEの仕事ですが、SEだけが分かっても仕方ないのです。

そもそも、その仕事によって提供する財やサービスの向こう側に人間がいない職業って無いでしょう。(私が思いつかないだけかもしれませんが。)
もし、「向こう側に人間が居ない、機械しか居ない」というような職業が豊富な状況になる事態があるとすれば、それは人間が文明の主役でなくなる時である、と私は考えています。「単独で生活しているロボットに雇われて暮らす」という風になったらもう人間は文明の主役ではないですよね。

理系であろうと文系であろうと、自分の仕事や研究の向こう側に人間が居る以上、得意不得意はあるにせよコミュニケーションの技術は常に鍛えておかなければいけないでしょう。当然、その前に自分の技術として、理系であればいわゆる理系科目の能力は鍛えておかないといけませんが。


ま、こんなことを書いたのは模試の自己採点をしたら現代文がちょっぴり悪かったからなんですけどね。自分への戒めを兼ねて、というわけです。最近レポート書いてないからなぁ・・・

余談ですが、「技術の向こう側には人間が居る」というのは自分の(技術者としての)信念であったりもします。まあ、そんなことを考えながら、回路設計とかをやって過ごした高校生活だったのでした。