田町アドベントカレンダー8日目:放送記念碑

どうもこんにちは.JA1TYEことスーです.高校の後輩であるmactkgさんが田町アドベントカレンダーなる企画を開催するとのことなので8日目に書かせていただくことにしました.(三日坊主にならないように,8日目という微妙な日付を指定したのは秘密)

前回の記事はmactkgさんの田町アドベントカレンダー7日目:田町駅ホームドア - 半空洞男女関係でした.彼ばかり書いていて大変そうなので,ご興味のある方は是非参加を!

さーて何を書きましょうか

と,いうわけで,1日分を引き受けたのですが,田町にある某高校の内輪話とか書くなら現役の方々でいいだろうってことで,アマチュア無線家でもある私らしいような話題を探してきました.「放送記念碑」です.

放送記念碑,みんな知ってる?

田町駅というのは山手線と京浜東北線の乗換駅として多くの人が利用します.乗り換えだけでなく,周辺の学校や企業も数多いため,たくさんの人が乗り降りします.そんな田町駅の至近にありながら,めちゃくちゃ存在感が薄い,ちょっと寂しい記念碑が「放送記念碑」です.

そんなのあったっけ?

というわけで,そんなものどこにあるんだよ!って言われそうなので,写真を撮って来ました.

お分かりいただけますでしょうか.ここはJR田町駅東口のデッキの下,東工大附属高校側です.手ブレしててすいません.取材に行ったのが5時過ぎだったので・・・
実はこの写真にすでに放送記念碑は写ってます. 右端ですね.

近寄ってみよう


と,いうわけで近寄ってみました.ちなみにこの写真を撮影する際,誰も後ろを通りませんでした.寂しい.
記念碑自体は大変しっかりした造りになっていて,重厚感もあるのですが,いかんせん場所が悪い.

ご丁寧にパネルまであります.

ついでに東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)の創立記念のパネルもあります.

日本で最初のラジオ〜東京で第一声を〜

上記のパネルを読んでいただければ,現在,東工大附属高校がある,旧東京高等工芸学校の敷地内で日本のラジオ放送の第一声が発信されたことがお分かりいただけると思います.
が,しかし,そもそもなんで学校の図書室なんか借りる必要があったのでしょうか.これには大阪放送局(現・NHK大阪放送局)と東京放送局(現・NHK放送センター)のちょっとした戦いが隠されています.

時は大正13年,日本でラジオを放送しようと,東京放送局,名古屋放送局,大阪放送局が開局に向け準備をしていました.特に東京放送局大阪放送局は,日本初のラジオ放送を目指し,準備を重ねていました.放送をするには,当たり前ですが送信機が必要です.しかし,ラジオといったら当時非合法のアマチュア無線程度しかない時代,放送向け送信機は海外の製品を購入するしかありませんでした.
当然,各放送局ともに購入を検討していたわけですが,何と大阪放送局東京放送局を出し抜いて,当時日本に1台しかないWE製送信機を購入してしまったのです.このままでは予定していた大正14年3月1日の開局に間に合わず,大阪にラジオの第一声を奪われてしまう・・・そんな思いから,東京放送局は苦肉の策を考えます.
東京市電気研究所から,研究用の無線送信機を借り受け,それを放送用に改造して使い,アンテナも隣接した逓信省電気試験所からの借り物という執念の塊のような作戦に打って出たのです.この無線送信機を設置して仮の送信所として利用する場所として,東京高等工芸学校に白羽の矢が立ちました.
大阪に負けるなと急ピッチでの改造・準備を進め,翌14年3月1日からの仮送信(仮送信所からの送信)の許可を逓信省に申請しますが,2月26日の時点で送信機の改造が終了しておらず,あえなく不許可.しかし3月1日放送開始と堂々と宣言してしまったこともあり,これまた苦肉の策で逓信省から「試験送信」の名目で3月1日からの送信許可を得ました.
そして無事に,3月1日,ラジオ第一声が東京から発信されたのでした.そして3月22日,仮送信の許可が降り,東京放送局のラジオは公式の「放送電波」となったのです.
東京に遅れること3ヶ月,大阪も6月1日に,更に遅れて名古屋も7月15日には放送を開始し,日本にラジオ時代が到来しました.


まー,事の詳細はさておき,田町を訪れた際には,ちょっとでもこの記念碑とその裏にあった人々の努力を思い出していただければ嬉しいです.
さて,こんな感じでいかがでしょうか.繰り返しになりますが,田町アドベントカレンダー,まだまだ参加者募集中です!是非記事書いてね!
明日はmactkgさんです!25日まで頑張れ!